手作りお菓子 娘より

自分自身、娘に「何が必要か?」と考えたことを書きます。

娘には、母がしてくれなかったことをしてあげたい。

娘には、母がしてきてくれたのと同じくらいのことをしてあげたい。

この感覚を、両方持っていることに最近気が付きました。

今までは、どちらかというと、母がしてくれなかったことをしてあげたい、と思っていました。

「母がしてくれなかったことをしてあげたい」は、

だから自分が働いて一緒に買い物も行くし、外食や美容院もいける。家で一緒に映画を見たり、お料理したり、旅行に行って 娘との楽しい時間を過ごしています。 

これは私が、母とできなかったことです。

「母がしてくれたことをしてあげたい」エピソードは、こうです。

母は、社会人経験がない、専業主婦です、お菓子も手作り。総菜屋さんもあまりない時代に私は育ったので、もちろん毎日 手料理です。

それが、私を苦しめます。

母がしてくれたことを、子供たちにしてあげられない、という感覚。

クリスマスにケンタッキーを買って帰る罪悪感。

会社の後輩から、「え?何が罪悪感なんですか? おいしいし、うちは毎年ケンタッキーでしたよ。」と聞くまでは、手作りできない自分自身が情けなくて、情けなくて。。。

運動会にピザを宅配する家族が、うらやましかったです。

母とはできなかった(今も大人の付き合いだ)から

娘とは、何でも話せるようになりたい。と思っています。

離婚してからのほうが、娘と話す時間が増えました。週末に会うと、お互い時間を大切にするのです。一緒に住んでいたころは、朝・晩に15分話していたかな?と思います。

先日、セッションしたときのことです。

娘との関係を考えたときに、高校時代に一緒に住んだ叔母のことが頭の中によぎりました。

とにかく私たちはよく話しました。 よく話すことで高校生の私は安心し、勉強に集中できていたのだと思います。

それと同じことをできていない今、また私は自分自身を苦しめている、ということに気が付きました。

叔母がしてくれたことと同じことができない、と思うと罪悪感がわいてくるのです。

セッションを進めていく中で、

叔母と全く同じことをしなくても、自分自身が満足すれば、聞いてほしい立場から、聞ける立場に変わる感覚がありました。

高校生だった私が安心している感覚から、大人になった自分が娘の話に耳を傾けている感覚に移動したのです。

今、もしかしたら、私はまだ「聞いてほしい」のかもしれません。離婚して寄りかかる存在もいないですし。。。

だから娘が遊びに来ても 娘のことを聞くよりも、娘に聞いてもらっている時間が長いです。

時間ではない、と頭で分かっていても、やっぱり「あぁ。母親として、してあげられていない。」と反省するのです。

自分自身が抱いている 「こうしてあげたい」「こうしてほしかった」は、表裏一体であり、実は娘との関係性を妨げにもなるのだな、と感じたセッションでした。

私の「こうしてあげたい」が、娘にとっての「こうしてほしい」とイコールとは限りません。

自分ができることを、娘と話していけばいいのかな。

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