週末や連休は、娘が泊りに来ます。女子トークができるのはうれしいのです。しかし・・・「母として、こうであらねば」と、やっぱり考えてしまいます。

その考えが先走るので、お掃除&床にはワックスがけまでして、お布団も干し、ママのご飯はおいしい!と言ってほしいから、食材もいつも以上に買い、準備万端! 

だけど、心の中で「あぁ、疲れた。」とボソッとつぶやく自分がいて、それを別の自分が「何を言っているの!あなた母親でしょ。頑張りなよっ!」と叱咤激励しています。

昨日、コーチング仲間とセッション練習があり、娘との関係性をテーマにセッションしてもらいました。うれしいのに、めんどくさいとか、疲れちゃう自分は、何が欲しいのか? 何に気が付きたいのか??

結局、娘との関係だけではないのです。

「とことん、話す」その訓練が、私には相当必要なのだ。と、セッションを終えて気が付きました。

親も、元夫も、娘も、友人も、同僚も「自分はこうでなくてはいけない」と自分が自分を決めている範囲があり、それを超えようとすると心がザワザワして「これでいいのかな?」「こうでなくちゃいけないのかな?」と自問自答を始めます。

自分の中に、善良なる、ドまじめな「こうすれば正当だよ。」という天使ちゃんと

「いやいやー、んっなわけないっしょ。もっと自由奔放にやっちゃいなよー」という悪魔ちゃんがいて

どっちも自分で、どっちも愛すべきキャラなのです。

今まで、「自分は自分」で生きてきたつもりが、相当周りに気を使って、いい子ちゃんでいること、一般的な幸せ家族を演出することに注力してきたと感じています。 それもあって離婚は私にとって相当な転機となりました。

離婚後、娘との関係性も以前より良好だと感じています。 一緒に住んでいたころよりも、もっと向き合って目を見て話しをしているし、なにより、話していて自分自身が解放されている感覚があります、心の底から楽しい時があります。

「母としてこうあるべき。こう答えるべき」が薄れてきたのでしょう。

娘とは一人の人間として対等に付き合いたいし、私の生き方は、ほんの一例として娘に見てほしい。私だけではなく、いろいろな人の人生を見て感じてほしいし、自分の人生は自分が決めてほしい。

めんどうくさい、と思ったら、そのことを伝えればいいのです。今まで、出来ずにいました。

だから「ランチはママが作るけど、夕飯はわからない。買出しに行ってもらうよ。」とラインしました。

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