セッション練習をしていたら、長女ことが愛おしくなったので、そのことを書きます。

彼女と私の出会いは、彼女が生まれた時。

彼女が世の中に出てきた瞬間、私は、彼女に対して「娘」ではなく「人」という感覚がありました。

長い間、「娘」と思えない自分自身が母親失格だと思ってきましたし、悩んでいました。

自分の感情をストレートにぶつけてくる彼女に対して、うまく対応できない自分もいましたし、母親としてこうしなくちゃいけない、と頑張っていました。

保健婦さんや、娘の定期健診時に「子育てについて相談できる相手はいますか。」の質問には、いい母、いい妻でありたいと思う気持ちから、いつも「はい」と答え、SOSを出せませんでした。

実家が近ければ、子育てを笑い飛ばせる人がそばにいたら、と何度思ったことでしょう。

娘が保育園に入ると、ママ友ができてそれなりに吐き出したり、愚痴を言ったりしていましたが、なんだかすっきりしない日々。愚痴を言うのではなく解決したい!と思い立ち、心理学を学ぶきっかけにもなりました。

小学校に入り、私の仕事を友達に自慢して、誇らしく思ってくれていた彼女

中学校受験では、反抗期ながらに頑張っていました。

中学校、高校は部活の部長もして、いろいろ悩みもあったでしょうが、彼女も頑張ってましたね。

人生の成長のきっかけを、長女が作ってくれた

今は、そう言い切ることができます。

彼女と対面して、苦しい思いをしなければ、心理学も学ばなかったし、心の葛藤もなかったでしょう。

もっとほんわか生きていたかもしれません(笑)

最初は悩みの種だった彼女のことも、潜在意識を活用したコーチングを学んでから、見方が180度変わりました。

悩みは私にとって、何かを気づかせてくれるチャンスであり

その種となっている娘の存在は、やっぱり大きいです。

「親と子」ではなく、同志というか、同じ目的に向かって走っている仲間みたいな感覚になります。

娘でも、

子供でも

友達でも

ないのです。

(次女は、友達感覚です。)

親の責任を全うしていない、という人もいるかもしれません。

親の感覚ではなく、いつも子供の感覚を持っているので、親にはなれない自分がいます。

同等でいたいのです。

長女が分かってくれるかな?と思いますが、いつの日かそんな話もできればいいな、と思います。

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